南留別志347

荻生徂徠著『南留別志』347

一 四姓(しせい)といふ事は、天竺(てんじく)にある事なり。源、平、藤、橘を四姓といひたるは、仏法を信ずるあまりに、何事も天竺の事をよしと思ひて、それに擬していへるなり。はては、かた田舎の人は、此四つより外は、姓はなしと思ひて、外の姓の人も、皆此四つの内にあらためたれば、今はまことに此四つより外はなきやうになりたり。安倍、伴、朝原、丸子、巨勢(こせ)、高階(たかはし)、春日、滋野(しげの)、滋岳、笠、苅田、葛城、葛井、御船、当麻、賀茂、家原、御輔、佐伯、都、布瑠、高丘(たかお)、三原、三善、大原、粟田、田部(たなべ)、島田、田中、高橋、菅野、錦部(にしごり)、豊階、志紀、御室(みむろ)、布勢、秦、槻本(つきもと)、若安、早部、朝野、蕃良(ばら)、六人部(むとべ)、都努、賀陽(かや)、五百木部(いおきべ)、安濃、飛鳥戸、川上、石川、鵜養、吉野、猪甘、茨田、手島、坂合、丹羽、稲置、飯高、大坂、五百庵、波多、黒川、長谷部、川辺、蘇我、雀部(さざいべ)、治田(はるた)、桜井、服部、岸田、平群(へぐり)、佐和良(さわら)、坂本、日下部、阿毘古(あびこ)、春日部、三杖、稲木、土形(ひじかた)、大石などの類は、姓なりといふ事は、大かたはし(知)らで、四姓の内になりたるおほかるべし。


[解説]源、平、藤原、橘の四つの姓を四姓として尊ばれるようになり、江戸時代でも武士はいずれかの姓を本姓として系図に書き込むことをした。特に源が多く、徳川氏も源を名乗った。ここに列記されているのもすべて姓であり、わが国は姓は四つしかないわけではないが、天竺(インド)の四姓制度を真似て源、平、藤原、橘の四つしか姓はないと思う人が多くなった。天竺の四姓制度は身分のことであり、

ブラーフマナ (婆羅門=司祭者)

クシャトリヤ (刹帝利・刹利=王族)

ヴァイシュヤ (毘舎=庶民)

シュードラ (首陀羅・首陀=隷民)

の四つである。 ちなみに、釈尊はこうした身分制度による差別を否定し、万人平等を強調した。我が国は古来より海外のものを盛んに採り入れてきたが、四姓のように元のものとは似ても似つかぬものも少なくない。なお、作者徂徠は先述のように物部姓である。

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