1927年7月15日

1927年7月15 日 昭和2年

【内 閣】

[田中義一内閣]

総理 田中義一/外務 田中義一(兼任)/内務 鈴木喜三郎/大蔵 三土忠造/陸軍 白川義則/海軍 岡田啓介/司法 原嘉道/文部 水野錬太郎/農林 山本悌二郎/商工 中橋徳五郎/逓信 望月圭介/鉄道 小川平吉/内閣書記官長 鳩山一郎/法制局長官 前田米蔵

【元 老】

西園寺公望

【宮中主要官】

内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎

[海 軍]

海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎

【植民地高官】

朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助

満鉄社長 安広伴一郎

【東 京】

府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公

【国際連盟】

事務総長 ジェームズ・ドラモンド (第7代パース伯爵=英)/事務次長 杉村陽太郎

ウィーンで労働者の大規模デモ発生。1月にブルゲンラントのシアッテンドルフで社民党の労働者2人が射殺された事件の被告の護国団(ハイムベール、ファシスト系私設軍隊)員について前日無罪判決が下されたことに抗議するもの。市長の自制要求に反して、ナチズムの牙城と見られていたウィーン大学を襲い、裁判所を全焼させるなど暴動化。警官隊の発砲により鎮圧するまで、15、16両日で89人が死亡、600人以上が負傷。社民党は政府が護国団の暴力を黙認したためとして、1日のゼネストと無期限の輸送ストを指令するが、政府の介入で失敗。以後、護国団と社民党系私設軍隊シュッツブント(共和国防衛同盟)の間での武力衝突がさらに頻発。

コミンテルン日本問題特別委員会、「日本問題に関する決議」(「'27年テーゼ」)を決定。「君主制廃止」を主張。福本イズム・山川イズムを批判。

武漢国民政府、中国共産党との分離を決定。8.5 共産党取締令を発する。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。