南留別志328
荻生徂徠著『南留別志』328
一 高坂弾正といふ者、高野に書状あり。香坂弾正左衛門虎綱といへり。されば、甲陽軍鑑は他人の偽作なる事、いよいよあきらかなり。
[解説]戦国時代の武将にして、甲斐武田氏家臣で譜代家老衆に春日虎綱(かすがとらつな)という者がいる。武田晴信 (信玄)・勝頼に仕え、武田四天王の一人として数えられる。別名の一つとして昌信(まさのぶ・しょうしん)があるが、一方、姓として香坂・高坂を名乗ったことがある。このことから、「高坂昌信」「高坂弾正」が有名になったが、『甲陽軍鑑』では「高坂」と記載しているのに対し、高野山成慶院「武田家過去帳」では弘治4年時点で「香坂弾正」を称してることが確認されている。このことから、徂徠は「香坂弾正」が正しく、「高坂弾正」としている『甲陽軍鑑』は偽作であると断じる。『甲陽軍鑑』は甲斐国の戦国大名である武田氏の戦略・戦術を記した軍学書。武家のみならず庶民の間でも流布したが、一方で、合戦の誤りなどが指摘されるようになった。肥前平戸藩主の松浦鎮信の著『武功雑記』(元禄9年(1696)頃成立)では、山本勘介の子供が学のある僧となり、父の事跡を虎綱の作と偽り『甲陽軍鑑』と名付けた創作と断じている。湯浅常山の『常山紀談』にも「『甲陽軍鑑』虚妄多き事」と記述されている。明治以降、学問の進歩とともに基礎的事実や年紀の誤りから歴史研究の史料としての価値が否定され、景憲が虎綱の名を借りて偽作したものであると見なされるようになった。現在でも、史料としては価値がなく、むしろ武家の思想を知る上で有効な書とされている(「武士道」の初出史料)。徂徠も学者的態度として実証的に分析し、『甲陽軍鑑』が偽作であることを結論づけた。
ちなみに、偽作といってもその性格や動機はさまざまであり、すべて悪書であると決めつけることはできない。自分の説を確立するための「証拠」としてでっち上げた偽作や、同じく自分の説を権威づけるために創作した偽作・偽書は悪質なものであるし、それによって学界での地位を上げたり、己の栄達を計るためのものもまた同類である。本屋が売り上げ倍増を狙って有名人の名を仮託して出版した書物もある。李攀竜(りはんりゅう)撰『唐詩選』はその代表といわれる。他方、乏しい断片を集めて、なんとか復元しようと足りない部分を補ってみたものや、原作者名がわからなくなってしまったために偽作扱いされているものもある。日本の倍以上歴史が長い中国の書物には「偽作」「偽書」がとても多くある。このため、ある書物、文献にあたる場合には、まず偽作かどうか、基本的なことを弁えておく必要がある。
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