南留別志325

荻生徂徠著『南留別志』325

一 体矢とて、冥途の見やげに持ち行く物なりといふは、子路が纓(えい)を結べる心なるべし。


[語釈]

●体矢 不詳。矢が体に刺さった状態のことか。 

●子路 しろ。姓は仲、名は由。孔子の高弟。もとはならず者で武勇をこのんだが、ある日孔子を打ち負かしてやろうと訪れたが、孔子の態度に深く恥じ入り、改心して入門した。年齢が孔子に近いが、直情径行な性格で的外れな質問をしたりはっきり物を言っては孔子からたしなめられるなど、他の弟子たちのようなインテリぶったところがなかったが、孔子は深く愛し、後世、孔門の十哲の一人として崇められている。


[解説]子路は衛の国に採用され、国内の村、蒲(ほ)の大夫となった。その衛の王室では君位の争いが起こり,子路は反乱の鎮定におもむいて情理を尽くして双方に自制を求めたが,逆に双方から敵とみなされ、殺されてしまった。小説ではあるが、中島敦の「弟子」は子路の伝記であり、その死にざまで中島は「子路が纓(えい)を結べる心」をよく描いているので、長くなるが引用させて頂く。(青空文庫より)

   ちょうど中から使の者が出て来たので、それと入違いに子路は跳び込んだ。

   見ると、広庭一面の群集だ。孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)の名において新衛侯擁立ようりつの宣言があるからとて急に呼び集められた群臣である。皆それぞれに驚愕(きょうがく)と困惑(こんわく)との表情を浮うかべ、向背(こうはい)に迷うもののごとく見える。庭に面した露台(ろだい)の上には、若い孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)が母の伯姫と叔父おじの※(「萠+りっとう」、第3水準1-91-14)※(「耳+貴」、第4水準2-85-14)とに抑えられ、一同に向って政変の宣言とその説明とをするよう、強(し)いられている貌かたちだ。

   子路は群衆の背後(うしろ)から露台に向って大声に叫んだ。孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)を捕えて何になるか! 孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)を離せ。孔※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49)一人を殺したとて正義派は亡ほろびはせぬぞ!

   子路としてはまず己の主人を救い出したかったのだ。さて、広庭のざわめきが一瞬静まって一同が己の方を振向いたと知ると、今度は群集に向って煽動(せんどう)を始めた。太子は音に聞えた臆病者(おくびょうもの)だぞ。下から火を放って台を焼けば、恐れて孔叔(※(「りっしんべん+里」、第3水準1-84-49))を舎(ゆる)すに決っている。火を放つけようではないか。火を!

   既に薄暮(はくぼ)のこととて庭の隅々すみずみに篝火(かがりび)が燃されている。それを指さしながら子路が、「火を! 火を!」と叫ぶ。「先代孔叔文子(圉)の恩義に感ずる者共は火を取って台を焼け。そうして孔叔を救え!」

   台の上の簒奪者(さんだつしゃ)は大いに懼れ、石乞(せききつ)・盂黶(うえん)の二剣士に命じて、子路を討たしめた。

子路は二人を相手に激はげしく斬り結ぶ。往年の勇者子路も、しかし、年には勝てぬ。次第に疲労(ひろう)が加わり、呼吸が乱れる。子路の旗色の悪いのを見た群集は、この時ようやく旗幟(きし)を明らかにした。罵声(ばせい)が子路に向って飛び、無数の石や棒が子路の身体(からだ)に当った。敵の戟(ほこ)の尖端(さき)が頬(ほお)を掠(かすめ)た。纓(えい)(冠の紐(ひも))が断(き)れて、冠が落ちかかる。左手でそれを支えようとした途端に、もう一人の敵の剣が肩先に喰い込む。血が迸(ほとばし)り、子路は倒(たお)れ、冠が落ちる。倒れながら、子路は手を伸(の)ばして冠を拾い、正しく頭に着けて素速く纓を結んだ。敵の刃(やいば)の下で、真赤(まっか)に血を浴びた子路が、最期(さいご)の力を絞(しぼ)って絶叫(ぜっきょう)する。

「見よ! 君子は、冠を、正しゅうして、死ぬものだぞ!」

 全身膾(なます)のごとくに切り刻まれて、子路は死んだ。

魯に在って遥かに衛の政変を聞いた孔子は即座に、「柴(さい)(子羔)や、それ帰らん。由(ゆう)や死なん。」と言った。果してその言のごとくなったことを知った時、老聖人は佇立瞑目(ちょりつめいもく)することしばし、やがて潸然(さんぜん)として涙下った。子路の屍(しかばね)が醢(ししびしお 塩漬け)にされたと聞くや、家中の塩漬類(しおづけるい)をことごとく捨てさせ、爾後(じご)、醢は一切食膳(しょくぜん)に上さなかったということである。(昭和十八年二月)

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