南留別志321

荻生徂徠著『南留別志』321

一 古の田地の高も、今にさまではかはるまじきに、式にのせたる肥後の国の正税、公廨、各四十万束。国分寺料四万七千八百八十七束、文殊会料二千束、府官公廨三十五万束、衛士料三万五千七百九十五束、修理府官舎料一万束、池清四万束、救急料十二万束、俘囚料十七万三千四百三十五束、合せて百五十七万九千百十七束なり。米になほして、七万八千九百五十五石八斗五升なり。是百石の場にて四石四斗納る積(つも)りなれば、百七十九万四千四百五十一石余なり。上総国は百六万千束、米にして五万三千五十石なり。右の積には、百二十万五千六百八十石余なり。甲斐国は五十三万五千三百束、米にしては二万六千七百六十五石。右の積りにしては六十万八千三百石余なり。今の積りよりは大てい三倍せり。右の外に、位山、職田、功田、賜田などの不税の田もあるべければ、昔は殊の外に、田地多きやうなり。其道に明ならん人につもらせたき事なり。


[語釈]

●公廨 くがい、くげ。本来は官衙(かんが)の舎屋の意味であったが、律令制下においては官衙の収蔵物・用度物のことを指すようになり、更に転じて官人(特に国司)の得分(給与)を指すようになった。 

●池清 灌漑工事のことか。 

●俘囚 古代律令国家に服属した東北地方住民のこと。夷俘(いふ)ともいう。律令政府は服属した蝦夷(えぞ)を胆沢(いさわ)城・秋田城などに集住させ,一部は諸国に移住させて国司の統制下に置いた。俘囚を移配した国(35ヵ国)には生活厚生のための俘囚料を設定するなどしたが,一方で俘囚の長をおいて管理・統制を強化した。

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