南留別志313
荻生徂徠著『南留別志』313
一 今の番衆のやうなるもの、古もあり。およそ、官に職事官、長上官といふ事あり。職事官といふは、今の世に役人といふやうなるものなり。それぞれに司る役義あり。散位の人は、長上官なり。長く上するといふ事なり。上するとは、御番(ごばん)をする事なり。才伎(てひと)、長上といふは、芸者の事なり。是も、つとむる役義なくて、番をするゆゑにいふなり。
[語釈]
●番衆 番を編成して宿直警固にあたる者。狭義においては幕府に詰めて将軍及び御所の警固にあたる者を指す。幕府の番衆の元は鎌倉幕府の源頼朝時代に弓矢に優れた側近の御家人を日夜身辺に置いたことに由来するとされる。江戸幕府では、将軍近侍・警固の役職として書院番・奏者番(そうじゃばん)・使番(つかいばん)などがある。書院番は小姓組とともに「両番」と称せられ、有能な番士には出世の途が開かれていた。どちらも、登城して勤番した日から三日目は供番といって、この日に将軍が外出すれば、そのお供を務める。四日目は西丸勤番。五日目は大手門の警固、六日目に将軍外出に当たれば先供を務め、七日目は西丸供番。八日目に明番(あけばん)といって休日が回ってきた。奏者番は城中における武家の礼式を管理する。譜代大名が就任する役職で、多くの場合初任の役職となるため大名にとっては出世の登竜門的な役職となっている。また、大名・旗本と将軍との連絡役となるため、大目付・目付と並ぶ枢要な役職でもあった。奏者番の内4名は寺社奉行を兼任する。使番は国目付・諸国巡見使としての派遣、二条城・大坂城・駿府城・甲府城などの幕府役人の監督、江戸市中火災時における大名火消・定火消の監督などを行った。
●散位 律令制において、内外の官司に執掌を持たず、位階のみを持つ者。なお、散官という別称もある。
●才伎 日本書紀によれば、雄略以後の渡来人は、百済より献上された手工業専門技術集団という意味で今来才伎(いまきのてひと)と呼び、それまでの渡来人を古渡才伎(こわたりのてひと)と呼んで区別した。
●長上 律令制における出勤形態で、常勤のこと。その勤務形態を取る官人のことを長上官(ちょうじょうかん)、工人のことを長上工(ちょうじょうこう)といった。非常勤のことは番上といった。
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