南留別志296

荻生徂徠著『南留別志』296

一 六歌仙といふ事は、古今の序に、六人を出だせるよりいへり。六に六をかさねて、三十六人にて、あなにえやの歌を附会せるは、後の世の人の事を好めるなり。丈山が詩仙堂をつくれる、又物わらひなり。古は、六義ほど歌より詩にならひたるに、後の世は、又詩より歌にならふ。題も皆、歌のやうになるはいかにぞや。連歌あれば聯句あり。歌合あれば詩合あり。百人一首あれば百人一詩あり。かく品々にまなびつくしぬれば、詩所もたつべくと覚ゆ。


[語釈]

●六歌仙 『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人である僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友黒主を指す。「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられた。絵は六歌仙の図、喜多川歌麿画。

●丈山 石川丈山(いしかわ じょうざん、天正11年(1583) - 寛文12年5月23日(1672))、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、文人。もとは武士で大坂の陣後、牢人。一時、浅野家に仕官するが致仕して京都郊外に隠棲して丈山と号した。江戸初期における漢詩の代表的人物で、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通していた。幕末の『煎茶綺言』には、「煎茶家系譜」の初代に丈山の名が記載されており、煎茶の祖ともいわれる。 

●六義 りくぎ。中国最古の詩集「詩経」の詩の6分類のこと。 詩の内容による分類の「風」「雅」「頌」、表現による分類の「賦」「比」「興」。「賦」は心情を素直に表現する作品、「比」「興」は比喩を用いた表現方法の作品。『古今集』真名序では,これを移して「和歌に六義あり」としているが、次第に六義といえば歌(和歌)を元とするようになり、徂徠はこの風潮に対して、本来六義とは詩(漢詩)における分類・表現であり、和歌が中心で漢詩がそれに傾斜する在り方を批判している。ちなみに、江戸時代でも詩といえば漢詩を指し、地位も第一。和歌はそれに次ぐものとして特に知識人たちの間では捉えられていた。歌人であっても漢詩や漢学の素養があり、作品にもそれを活かしたものが少なくない。これは平安女流たちにもいえる。さらに、江戸時代は狂詩が盛んに作られたが、これこそ漢学の素養を存分に発揮させたもので、それがないと意味も面白味もわからない。それだけ武士や僧侶、医師をはじめ知識人たちは漢学が教養の必須の基本となっており、その上で漢詩や和歌、俳諧もたしなんだからこそ、狂詩、狂歌、川柳といった諧謔の一大文化も生まれたといえる。堅苦しいことだけでは息がつまるし、相手にされない。ユーモアがあり、洒落も理解する人たちのほうがもてはやされたし、泰平の世というのはこういうところから身分を超えた交流も盛んとなった。

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