1942年5月26日(2)
社団法人日本文学報国会
組織
会長:徳富蘇峰
幸田露伴に会長就任の打診があったが、「健康上の理由」を口実に辞退したという。
常任理事:久米正雄、中村武羅夫
理事:折口信夫、菊池寛、窪田空穂、佐藤春夫、下村宏、白柳秀湖、関正雄、辰野隆、長与善郎、松本潤一郎、水原秋桜子、柳田國男、山田孝雄、山本有三、吉川英治
顧問に正力松太郎、藤山愛一郎、横山大観などが就任。
監事:三井高陽
賛助会員:岩波茂雄(岩波書店)、下中弥三郎(平凡社)、佐藤義亮(新潮社)、秦豊吉(東京宝塚劇場)
部会
部会として当初は小説・劇文学・評論随筆・誌・短歌・俳句・国文学・外国文学の八部会を設置、その後漢詩漢文部会を追加して九部会体制となる。また川柳は俳句部会に川柳分科を設けた。
小説:部会長・徳田秋声、幹事長・白井喬二、理事・菊池寛
劇文学:部会長・武者小路実篤、幹事長・久保田万太郎、理事・山本有三
評論随筆:部会長・高島米峰、幹事長・河上徹太郎、理事・河上徹太郎
詩:部会長・高村光太郎、幹事長・西條八十、理事・佐藤春夫
短歌:部会長・佐佐木信綱、幹事長・土屋文明、理事・水原秋桜子
俳句:部会長・高浜虚子、幹事長・富安謙次
川柳:理事・前田雀郎
国文学:部会長・橋本進吉、幹事長・久松潜一、理事・折口信夫
外国文学:部会長・茅野蕭々、幹事長・中野好夫、理事・辰野隆
漢詩・漢文:部会長・市村瓊次郎、幹事長・沢田総清=1943年5月22日設置
事務局
総務部(部長甲賀三郎)、審査部(河上徹太郎)、事業部(戸川貞雄)で構成され、久米正雄が事務局長。また放送局業務局長として関正雄が着任。1944年の甲賀の辞任後、北条秀司が総務部長に。
運営費
運営費は情報局から支給された。
機関紙
機関紙『文学報国』が創設された。
その他の会員など
大政翼賛をめざした新しい組織ではあったが、日本文藝家協会の改組という意識があり、既存の作家たちをそのまま組織した傾向があった。そのため、会員になることを拒否した中里介山、内田百間以外は、旧プロレタリア文学関係の、宮本百合子や蔵原惟人、中野重治たちも入会していた。中野重治はプロレタリア作家であった自分の経歴のために入会を拒否されるのではないかと菊池寛宛に問い合わせの手紙を送っている。宮本百合子は1943年に会の事業として女性作家作品集の企画(発行はされなかった)において掲載作品を選定しようとして、獄中(未決)の夫、宮本顕治からたしなめられるということなどもあった。永井荷風は無断で入会されたこと、そして会長の徳富蘇峰を嫌いであると日記で書いている。
事業
1942年夏には、各地を巡回して、「文藝報国運動講演会」を開催した。第1回文学報国大会は、1943 年4月に「米英撃滅と文学者の実践」を議題に九段軍人会館で開催。大東亜文学者大会ではの中心的な役割を担い、1942年11月、1943年8月(大東亜文学者決戦会議)、1944年11月(南京大会)の3度開催。
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