1900年5月19日

1900年5月19日 明治33年

【内 閣】

第2次山縣有朋内閣

総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正

内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助

【元 老】

黒田清隆 伊藤博文 山県有朋

【東 京】

府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄

京都法政学校(現 立命館大学)設立

 1869年に 西園寺公望が私塾立命館を創設。しかし、京都府庁の差留命令により1年弱で閉鎖、のちに西園寺の秘書官であった中川小十郎が西園寺の意志を継ぎ3年制の夜間学校としてスタートしたもの。開学当初の1年間は、京都市上京区東三本木通にあった料亭「清輝楼」(旧・吉田屋)で講義が行われた。旧・吉田屋は幕末に倒幕派の志士たちが密会の場として頻繁に利用され、「薩土同盟」締結の際に坂本龍馬、中岡慎太郎らが立ち会った場所としても知られる。「明治ノ初メニ於イテ余ガ建設セル立命館ノ名称ト精神ヲ継承セル貴学ガ益々発展シテ国家ノ進運ニ貢献スルコト大ナルベキヲ祈ル」中川が「立命館」の名称を用いることを西園寺に申し出た際には大いに喜び、「立命館と由緒」の大扁額を与えた。後に西園寺は「余が建設せる立命館の名称と精神を継承せる貴学」と現在の立命館大学のことを述べており、彼の作った立命館が再興し、受け継がれている事を喜んだ。西園寺は京都法政学校が大学令による大学への昇格条件を満たすために多数の書籍を寄付している。これらの書籍は、現在も「西園寺文庫」として保存されている。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。