1927年5月18日
1927年5月18日 昭和2年
【内 閣】
[田中義一内閣]
総理 田中義一/外務 田中義一(兼任)/内務 鈴木喜三郎/大蔵 高橋是清– 6,2/陸軍 白川義則/海軍 岡田啓介/司法 原嘉道/文部 三土忠造/農林 山本悌二郎/商工 中橋徳五郎/逓信 望月圭介/鉄道 小川平吉/内閣書記官長 鳩山一郎/法制局長官 前田米蔵
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎
[海 軍]
海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎
【植民地高官】
朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助
満鉄社長 安広伴一郎
【東 京】
府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公
【国際連盟】
事務総長 ジェームズ・ドラモンド (第7代パース伯爵=英)/事務次長 杉村陽太郎
阪神国道改良工事完成、開通式。
第8回コミンテルン執行委員会拡大総会開催(-30 モスクワ)。中国の土地革命、労働者農民の武装、武漢政府の改革を指示。
アメリカ・ミシガン州バスで農場主が学校を爆破(3回)。45人死亡。学校建設のための財産税の代わりに農場が差し押さえられたことに腹を立てての犯行
バス学校爆破事件(the Bath School disaster)とは、1927年5月18日、アメリカ合衆国ミシガン州のバス(Bath Township)で発生した爆破事件。45人が死亡、58人が負傷し、犠牲者の大半は爆破されたバス統合学校(Bath Consolidated School)の生徒達(7歳~12歳)であった。アメリカ合衆国史上、学校で発生した大量殺人としては犠牲者数が最多のものである。犯人は当地の教育委員会の委員であったアンドリュー・フィリップ・キーホー(Andrew Philip Kehoe)。キーホーは、学校の校舎建設のために新たに課された財産税に腹を立てており、自分の経済状況の厳しさを理由にこの増税に対する不服を申し立てていたが、所有する農場が強制執行の対象となった。この件がキーホーの犯行の動機となった。
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