南留別志257

荻生徂徠著『南留別志』257

一 名乗(なのり)を反すといふ事、何者のしはじめたる事なる。今の世には王公大人(たいじん)の定れる法のやうになれるは、上をまなべばなり。詞花集の比(ころ)よりと聞(きこ)ゆ。異国には、斉(せい)の明帝の、ことのほかに物を忌(い)まふ性にて、人の名をかへしたる事あり。それは、唐音にて、ひゞきのかよへるをにくめば、さもあるべし。此国にては、和調にてよむなれば、かゝるさまたげもなし。唯占術の一つになりて、人のまどへるなり。韻鏡(いんきょう)といふ物は、唐音を正すべき為に作れる書なるを、うらかたの書のやうに覚ゆるは、おろかなる事のいたれるなり。韻鏡にのせたる字は、一音なる字多き中にて、近く聞きなれたる字を一つ出せる事なれば、その字の義にてのみ、吉凶をさだむべきやうなし。一音の字多き内には、あしき義の字もあるべけれども、とにかくに書画に見えたる字の義をのみとれるは、易の辞などのやうに得たるにや。此故に今の世には、とほり字の同じくて、うまれしやうの同じき人は、皆同じ名のりなり。名乗のおこなはれぬ世なればこそ、かくにてもまがひもなけれ。昔のごとく、姓と名乗とにて、世におこなはゞ、一万の人のあつまりたる都にては、同名の人の四百も五百もあるべきなり。


[語釈]

●詞花集 『詞花和歌集』。平安後期の勅撰和歌集。八代集の第六。10巻。歌数は八代集中最少。崇徳院の院宣により、藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)が撰し、仁平元年(1151)ごろ成立。四季・賀・別・恋・雑に部立て。歌数409首。詞花集。前の時代の歌人が多くとられているが,編集にはこの時代の歌風の幅広さが反映されている。 

●斉の明帝 南朝斉(南斉)の第5代皇帝。姓は蕭、諱は鸞(らん)。高帝蕭道成の兄蕭道生の次男。在位期間は494年12月22日 - 498年9月1日。有能だが猜疑心が強い性格で、即位後に第2代皇帝だった武帝の子孫を全員誅殺するなどの所業を重ねた。皇族を処刑する時、自ら毒薬の調合を命じながら焼香して涙を流すといった不安定な性格だった。 晩年は重病にかかり、道教に没頭したり服装を全て紅くするなどの行動に出た。 

●韻鏡 10世紀ころにできた中国の音韻図。頭子音と声調との組み合わせによって漢字音の体系を図示したもの。43図からなる。日本へは鎌倉初期に伝来し、多くの刊本が現存。 

↑永禄7年(1564)の刊本/国立国会図書館蔵

●うらかたの書 占いの書。


[解説]名乗とは、公家や武家などで、その男子が元服・成人のときに、幼名・通称にかえてつける実名または本名のこと。父親または名付け親の名の一字(片名(かたな))をとってつける場合が多かった。名乗は字音(じおん)を使わず、また字訓(じくん)も常訓と異なるものが多く、また字性と人性の相克を嫌い、相生(そうせい)を考慮に入れたりしたので、難訓のものも少なくなかった。このようにこだわりの強いものだったため、特に中国では一度決めた名乗を変更することがよくあった。中国の場合はその音が同じ別の不吉な字に通じるということで変えたが、『韻鏡』といったものによって、自分の名乗の字と同じ音の不吉な字がないかを見極めるということをした。例示した『韻鏡』の分類にあるように、音といっても「脣音」「舌音」「牙音」「歯音」「喉音」といったような種類があり、例えば日本語の音は区別なく同じように「カン」と発音する字でも、中国語ではある字Aは「脣音」で発音し、ある字Bは「牙音」で発音する場合、別の音となる。こういう場合は問題とならないが、AとBがともに同じ発音で、名乗Aに対し不吉な意味を持つBの字がある場合、これを嫌って変えるということをした。誰もがやったわけではなく、吉凶を人一倍気にする明帝などが変えさせた。本来、『韻鏡』はあくまで音を正しく分類し、それを知るためのものだが、名の吉凶を占うために使うなど愚かな極みであると徂徠は批判する。

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