南留別志256

荻生徂徠著『南留別志』256

一 吾邦には、車を牛に引かせたるは、六朝(りくちょう)の制なり。


[解説]中国における牛車は,漢代以前は貧者に限られていた。後漢末の霊帝(在位168‐189),献帝(在位189‐220)のころから六朝の間に天子から士大夫にいたるまであらゆる階層の常用車となった。特にに優れた牛を賽牛(さいぎゅう)と呼び,千里の馬になぞらえて八百里の牛と称して珍重した。一方で馬車は人気がなくなった。貴人の牛車は六朝墓の明器(めいき=下画像)に認められるように台車の上に屋と簾をつけており,民間の牛車は屋のない露車だった。以上の来歴については徂徠は熟知していたようで、さすがである。現物を見ることはなく、また、鎖国により唐土へ行くことはなく、すべては文献による知識であったが、それを頭の中で正確に組み立ててゆくことができたのも、ひとえに文献に対する読解力に負うところが大きい。

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