南留別志253
荻生徂徠著『南留別志』253
一 舞の詞にいはう、ぎはう、土佐房を、三人の法師武者といへるは、心得がたし。いはうは伊北なるべし。ぎはうは議部なるべし。治部の唐名なり。されば、伊北は苗字にて、議部は官なるべし。三人にてはなきなり。
[解説]舞の詞について調べ得ていないので分からない部分があるが(判明したら追記したい)、土佐房は土佐房昌俊のこと。鎌倉時代初期の武士で、源頼朝の命令を受けて源義経を京都の堀河の宿所に急襲したものの,失敗して義経に斬られた。もと頼朝の父義朝の家来で,義朝の死後出家したともいう。「いはう」は「伊北」とする徂徠の説に従えば伊北五郎盛直という「義経記」に登場する土佐坊昌俊の従兄弟のことで、土佐坊らとともに捕らえられ、駿河次郎清重に斬られている(享年33)。
この段は、「いはう」「ぎはう」「土佐房」はそれぞれ別々の三人ではなく、「いはう」「ぎはう」は「伊北議部」で一人であり、「伊北議部」と「土佐房」の二人である、とする。この説であれば「義経記」に出て来る二人と符合する。
0コメント