南留別志244

荻生徂徠著『南留別志』244

一 日本紀の文もちくらなり。仏経の文もちくらなり。儒書に点つけてよむもちくらなり。世の学者、ちくらが沖にたゞよひて、から(唐)にもやまと(大和)にも、舟のつかぬは、是をや生死の苦海に流浪すとはいふべき。


[解説]この「ちくら」は「筑羅」。諸説あるが(朝鮮と対馬との間にある巨済島の古称であろうとか,薩南の列島吐噶喇(とから)の転訛したものであろうなどとの説)、もとは神の世界と人の世界との境界をあらわす地名として使われていた。江戸時代になると、虚言を俗に「ちくら」といい,特にエセ儒者を「ちくら儒者」蔑称するようになった。この段の「日本紀の文もちくらなり」以下の「ちくら」も、すべて「エセ」「偽物」という意味であり、徂徠は漢文体の日本書紀や漢訳仏典、訓読した漢文をすべて「ちくらが沖にたゞよひて」、つまりどっちつかずのいいかげんなものとして批判している。苦学し、独学で中国語をものした徂徠にとって、漢文は中国語として読むものという当然の結論に至り、訓読を否定するほど自負心が強かったから、見せかけの漢文体や漢訳仏典もまがい物として否定したのである。なお、徂徠は訓読の有用性は認めており、幕府など依頼されれば訓点をつける作業もしている。京都学派の吉川幸次郎博士も漢文を始めたのは遅かったが、徂徠同様に自力でマスターし、漢文を中国語として読み解するようになったが、一方では訓読した一般向けの書物も多く上梓している。

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