南留別志238

荻生徂徠著『南留別志』238

一 男の鬚そる事は、男風さかんになりて、眉作り、薄げしやうせし比(ころ)よりの事なるべし。


[解説]肖像画を見ると分かるが、戦国時代以前および江戸時代のごく初期の男性はほとんどがヒゲを生やしているのに対し、江戸の初期以降は将軍から庶民まで、ほとんどの人がヒゲを剃っている。下に肖像を並べておく。わざと奇抜ないでたちをした奴(やっこ)が鎌鬚(かまひげ)というのを生やしたのが目立つぐらい。明治時代になり、洋風が流入してから政治家や学者らインテリの間でヒゲが復活したが、江戸時代というのはヒゲの点でも特異な時代といえる。なぜ江戸時代人の男性はヒゲを嫌ったのか。徂徠は「男風さかんにな」ったことが理由としている。男風とは「様子のいい男」つまり格好いい男といった意味だと思われるが(あと、男装の女性)、結局、顔を美しく作るのも泰平の世だからで、戦乱の時代にはそんな暇もなければ心の余裕もない。また、徂徠が言うように、眉を作ったり(形を整える)薄化粧もした。信じられない人が多いと思うが、江戸研究の大家だった故・三田村鳶魚(えんぎょ)でさえ「男が化粧などするか」と終生この点は認めなかったというが、特に大名など高位の者たちの化粧は日常的なものだった。時代劇では京都の公家が化粧(それも厚化粧)をしているが、公家を武家が真似たのである。ただし、薄化粧で。

 肖像は古い順に上から後醍醐天皇、織田信長、徳川綱吉、井伊直弼。綱吉と井伊大老はヒゲがなく、おしろいや口紅などをつけているのもわかる(絵だから着色したわけではない。実際に基づいたもの)。

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