南留別志234

荻生徂徠著『南留別志』234

一 上総国の南の方は、人の詞(ことば)「かきくけこ」をえいはで、「あいうえお」といふ。坂倉(さかくら)といふ所を、所のものゝ「さあくら」といひ、それより転じて、「さはくら」といひたるゆゑ、後には文字をも、沢倉に改めたり。かゝる事、国々に多かるべし。


[解説]父に伴って上総の国へ一時住んだ人として、荻生徂徠のほかに『更級日記』の作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)がいる。菅原道真の玄孫で上総国・常陸国の受領を務めた父の菅原孝標が上総介(かずさのすけ)として上総に赴任、寛仁4年(1020年)に京へ帰ることになり、一緒に上京した(この時数え13歳といわれる)。『更級日記』の冒頭部分が上総での思い出となっており、源氏など「物語」が読みたいという熱望から早く京へ行きたいという一心で、上総に対する思いは徂徠ほどではないが、上総にゆかりある人物として忘れることはできない。

 徂徠の場合は父が将軍綱吉の逆鱗に触れて江戸を放逐され、上総で蟄居するのに伴い一緒に移り住んだ。この時徂徠14歳。菅原孝標女が13歳で離れたのと入れ替わるような年ごろである。徂徠はここで13年間も住んだ。徂徠にとって上総での暮らしは田舎の現状をつぶさに知るよい経験となり、折に触れて上総を引き合いに出してはこの段のように言葉や風俗、暮らしぶりに思いを致しているほか、晩年に将軍吉宗に政治の要諦を記したものを書物にして(『政談』)進呈したが、その中でも地方と都市とをいろいろ比較し、現実的な政策を進言している。若い頃に違う環境で暮らした経験は、その人にとって視野を広げ、思索を深める一助となることは間違いない。

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