南留別志220

荻生徂徠著『南留別志』220

一 水すめば魚すむ。水にごれば魚にぐる。詞(ことば)も義もかよへり。


[解説]『孔子家語』(こうしけご)に「水清ければ魚棲まず」という有名な言葉がある。水が清らかすぎると逆に魚は棲まないということから、人柄が高潔すぎると人は煙たがって近づかないことの例えとして使われる。もちろん、徂徠もこの程度のことは充分知っているが、『論語』など、独特の解釈をすることが多い。例えば、「由(よ)らしむべし。知らしむべからず」(『論語』泰伯)という一節。一般には、「為政者は人民を従わせればよく、その意味などは知らせる必要はない」と解釈されているが、徂徠は「行政は人民に利用してもらえばよく、それを恩着せがましく説明したり宣伝すべきではない」とする。一般的な解釈だと、いかにもお上が人民を服従させる関係、政治に対して無知である愚民政策を是とするようであり、この一節に関してはむしろ徂徠の解釈のほうが為政者に対して傲慢にならぬよう戒めるものであり、そもそも『論語』は為政者に対する戒め、心得を述べたものが多いことからも、妥当なように思われる。

 「水すめば魚すむ。水にごれば魚にぐる」は、「水澄む」=「魚棲む」、「水濁る」=「魚逃ぐる」で、前者は「すむ」、後者は「にぐ」が共通のことばであり、掛け言葉にもなっている。水が清らかに澄めば魚たちも棲むようになるし、濁れば逃げてゆく。徂徠が何を言いたいかは自明で、道が行われない汚濁の政治では人々は従わず、厳正公平であれば人々も心服する、ということで、「水清ければ魚棲まず」の一般的解釈に異を唱えている。

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