南留別志211
荻生徂徠著『南留別志』211
一 「いざ」といふ詞、「衣ほすてふ」などの「てふ」(ちょう)といふ詞、今も上総(かずさ)国にあり。「いざ」を「いちや」(いちゃ)といひ、「てふ」を「ちふ」(ちゅう)といふなり。
[語釈]
●「衣ほすてふ」 『新古今和歌集』夏・175、持統天皇の「春すぎて夏来(き)にけらし白妙(しろたへ)の 衣(ころも)ほすてふ天(あま)の香具山(かぐやま)」(『百人一首』にもあり)。
[解説]延宝7年(1679年)、当時館林藩主だった徳川綱吉の怒りにふれた徂徠の父が江戸から放逐され、それによる蟄居にともない、徂徠は母の故郷である上総国長柄郡本納村(現・茂原市)に移った(14歳)。 ここで主要な漢籍・和書・仏典を13年あまり独学し、のちの学問の基礎をつくったとされる。この上総時代を回顧して自分の学問が成ったのは「南総之力」と述べている。元禄5年(1692年)、父の赦免で共に江戸に戻った。上総では農民らの暮らしぶりを間近に見たり自身も体験したことは徂徠の人格形成の上で大きな影響を及ぼし、やがて綱吉や吉宗といった将軍に対し考えを具申する上で、庶民の暮らしについて細かく言及し、庶民の立場からの考えも述べるなど、大いに役に立つ経験となった。
0コメント