1900年3月6日
1900年3月6日 明治33年
【内 閣】
第2次山縣有朋内閣
総理 山縣有朋/外務 青木周蔵/内務 西郷従道/大蔵 松方正義/陸軍 桂太郎/海軍 山本権兵衛/司法 清浦奎吾/文部 樺山資紀/農商務 曾禰荒助/逓信 芳川顕正
内閣書記官長 安広伴一郎/法制局長官 平田東助
【元 老】
黒田清隆 伊藤博文 山県有朋
【東 京】
府知事 岡部長職/東京市長 松田秀雄
平山信が2つの小惑星を発見。「日本」「東京」と命名
1900年3月6日と3月9日、東京の麻布台にあった東京天文台(現在の国立天文台)で、平山信がブラッシャー天体写真儀を用いて天体写真を撮影した。この2つの写真からは小惑星候補が3つ検出され、うち2つ(本天体と (727) ニッポニア)が未知のものであった。本天体は日本で初めて検出された小惑星のひとつであるが、2点のみの観測で軌道を確定できなかったため、平山は「小惑星の発見者」とはなっていない。その後、1902年12月2日にニース天文台のオーギュスト・シャルロワによって3点目の観測が行われて軌道が確定し、シャルロワが発見者となった。命名の権利は平山に譲られ、平山は発見場所にちなんで Tokio と名づけた。2012年、東京天文台が麻布に所在していた時代(東京天文台は1924年に三鷹に移転した)の写真乾板が再発見され、ここに平山が本天体を検出した写真乾板も含まれていた。それまで、当時の資料は関東大震災や1945年の東京天文台の火災によって失われたと考えられていた。なお、日本人が発見者としてクレジットされる最初の(小惑星番号が最も若い)小惑星は、1927年に及川奥郎が発見した (1088) 三鷹である。東京に由来する命名が行われた小惑星としては、他に (9782) 江戸がある。
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