南留別志187

荻生徂徠著『南留別志』187

一 礒を「いそ」とよむ。磯なるべし。「いそ」は「いし」なり。石上を「いそのかみ」とよむなり。磯城(しき)、礒長(しなが)など「し」といふは、「いし」といふ事なり。


[語釈]

●磯城 奈良盆地の東南部を指す地域の名称。三輪山の西、初瀬川流域までの地域で、現在の磯城郡と桜井市、天理市の一部を指す。志貴・志紀・師木・志癸とも表記する。 

●礒長 現在の大阪府南河内郡太子町の一部の歴史的地名。科長とも記す。河内国石川郡に属した。この付近には敏達・用明・推古・孝徳の4天皇の陵墓をはじめ,聖徳太子の磯長墓(叡福寺)などが設けられた。また《延喜式》にみえる科長神社もこの地にまつられた。徂徠は「礒長」と表記しているが、何に拠ったのか不詳。一般的には「磯長」と表記する。

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