南留別志158
荻生徂徠著『南留別志』158
一 礼を「ゐや」とよむ。孝を「ゐやまひ」とよむ。恭を「うやうやし」とよむ。相通ずるやうなり。されども礼と孝との訓は、ありし詞とも覚えず。
[解説]礼を「いや」(うや、とも)と普段読むことはまったくないし、名乗も「あき・あきら・あや・かた・なり・のり・ひろ・ひろし・まさ・まさし・みち・ゆき」などで、「いや」はない。しかし、辞書を見るとわかるが、礼の字義の最初に「いや。うや。人のふみ行うべきのり」と出ているように、もともとは「いや」という読みがあった。孝の「いやまい」は「うやまい」。孝敬という熟語があるが、孝は敬に通じ、訓こそないものの「うやまう」という意味がある。恭の「うやうやしい」は今も訓読みとして使われている。以上の三字は意味が通じるものの、礼の「いや」、孝の「いやまい」という訓は古くからあったことばとも思えないと徂徠は疑問を呈する。当て字的恣意的に使った誰かを念頭に置いて批判しているのだろうか。徂徠は間違いや疑問のある事に対しては遠慮なく批判するが、具体的な用例を出さないこともあるので、これについてはこれ以上なんとも言えない。
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