南留別志157

荻生徂徠著『南留別志』157

一 仁を「ひと」とよみ、義を「よし」とよむ。人也、宜也(よろしきなり)といふ訓にしたがへるなるべし。


[解説]仁を「ひと」と人名で読むものとしては、現在でも皇室で男子の皇族に使われ続けている(今上は徳仁(なるひと)、秋篠宮は文仁(ふみひと)、上皇は明仁(あきひと)といったように)。徂徠は、仁と人はともに「ニン、ジン」と音が通じていることから、意味も同じであるとみている。同様に、源義家や足利義満など、義を「よし」と読むのも義と宜はともに「ギ」の音であるため、意味もまた通じて使われ、義に「よし」という訓ができたとする。仁と義は儒家の徳目として最も重要視されたものだが、どうしても上下の身分関係におけるものとして捉えられ、そのように説明される。しかし、それでは孔子など聖人の説く本旨より狭い意味になってしまうとして、徂徠は常に元の意味を考究し拳々服膺すべきという立場をとる。仁は人と人を表わし、助け合うこと。義は羊を犠牲として殺し供するという物騒な字ではあるが、ここから正しく行うこと、道理にかなったよいことといった意味で使われる。上下関係とは関係なく、どちらの字も人として、人らしくといった良い意味であり、このために特に古来より貴人たちが名乗りとして使い、家の人名として受け継がれた。

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