南留別志146
荻生徂徠著『南留別志』146
一 芭蕉を「ばせを」とかき、紀長谷雄を「発昭」とかくを見れば、粛宵(しゅく・しょう)の韻の字を、古は、「う」のかな(仮名)を用ひぬ事と見えたり。東(とう)の韻、陽唐(よう・とう)の韻などは、はぬる音、喉にいるゆゑ、「う」のかなを用ひたるなるべし。肴豪(こう・ごう)の韻、尤(ゆう)の韻は、「う」のかな勿論なり。
[解説]松尾芭蕉の芭蕉を「ばせを」と書く一方、紀長谷雄(きのはせお(を)。平安前期の漢学者)は唐名として発昭(はっしょう)という名を持ち、これは長谷雄を音読み風にもじったもの。前者は「しょう」を「せを」、後者は「せお」を「しょう」と逆の書き方(読み方)をしている。これについて徂徠は、昔は漢字で「~う」と音読みをするものについて、「う」を使わなかったために「しょう」と発音するものについては「せを」と表記したと考える。徂徠は当時の人としては中国語に堪能で、漢文も訓読せずそのまま上から読んだほどの人だったことから、音韻に関しても明るく、この文章もそれを踏まえているのは確かだが、日本語の表記は原音を正確に表せないこともあり、言わんとしていることは分かるものの、後半部分はこれだけでは釈然としない。もともと『南留別志』は自分用の手控えとして書き付けられたため、徂徠自身はわかっていても、第三者から見るとそれぞれの知識の範囲により理解がおぼつかない所があるのは致し方のないところではある。
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