南留別志145
荻生徂徠著『南留別志』145
一 追捕使といふ官、古は国々にあり。伴(とも)の系図に、助兼(すけかね)参河国の追捕使となる事あり。さなくば、頼朝も総追捕使といふ事はいひいづまじきなり。
[語釈]
●追捕使 ついぶし。「ついぶくし」とも。律令制下の令外官の一つ。 警察・軍事的官職。 初めは臨時の官職であったが、後に諸国に常設されるようになった。凶賊を追捕取締ることを任務とする(江戸時代の火付盗賊改のごとし)。文治1 (1185) 年、源頼朝は義経,行家追捕のため諸国に惣追捕使の設置を勅許された。
●伴 伴助兼(とも の すけかね)。平安時代後期の武士。後に資兼に改名。通称は伴次郎、設楽大夫。姓は朝臣。伴助高の子。三河設楽氏・富永氏の祖。位階は従五位下。八幡太郎義家郎党で一の勇士として知られる。
●参河国 三河国。江戸時代は地名や人名などの固有名詞でも用字、表記に拘泥せず、同じ意味や読みをする別の字を気ままに使うことがよくあった。自分の名前すら別字を使うこともあり、古文書を読む時は注意を要する。なお、誤字と即断して原文を勝手に変えてはならない。あくまで原文に従うべき。
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