南留別志136
荻生徂徠著『南留別志』136
一 葵丘(くゐきう)とかきて、「きゝう」とよむは、僻事(ひがごと)なるべし。古は、「くゐきう」とよむなるべし。「くゑんじ」、「へんぐゑ」なども、たゞかな(仮名)のとほりによむなるべし。
[解説]葵丘は今も「ききゅう」(旧仮名遣いで「きゝう」)と読む。中国古代の地名で、春秋時代にここで斉(せい)の桓公(かんこう)主宰による会盟が開かれた(B.C.651年夏)。出席したのは宋、魯(ろ)、鄭(てい)、許、曹の諸侯と、当時の中央国家である周の襄王(じょうおう)の使者。戦国の世となる前のことで、各国とも互いに隙あらばと様子を伺い、互いに関係を結んだり牽制し合っていた。それを鎮めようと相互理解の意味で開かれた国際会議のようなものである。ここで決まったのは
1 親不孝者は必ず誅(ちゅう)す。一度定めた世嗣(よつぎ)は妄(みだ)りに代えてはならぬ。側室は決して本妻とせぬこと。
2 賢者を尊び、人材を育成し、有徳者を表彰すること。
3 老人を敬い、幼少者を慈しみ、よそから訪れた人を大切にすること。
4 官職は世襲にしてはならぬ。官職を兼任させない。必ず立派な人物を採用すること。みだりに大夫を殺さぬこと。
5 堤防を勝手に曲げて造らぬこと。他国の者が穀物を購入するのを妨げてはならない。臣下に領地を与えたら、必ず盟主に報告すること。
以上の5か条。この会盟は「葵丘の盟」といい、『孟子』の告子章句(こくししょうく)下に見えている。この「葵丘」について徂徠は「ききゅう」ではなく「くいきゅう」と発音すべきとする。但し、「い」は小さめに発音し、「く」と「い」を同じ強さでは読まない。「くえんじ」「へんぐえ」も仮名の通りに読むべきという。「くえんじ」は本来は「けんじ」、「へんぐえ」は「へんげ」と読むが、同様にそれぞれ「え」(ゑ)を心持ち小さめに発音せよという。国会は旧仮名遣いだと「こつくわい」だが、発音上は「こっかい」となる。しかし、昔から「これは『こっくわい』と発音するのが正しい」と言う人がいて、故・三木武夫首相なども「こっくわい」(「わ」は小さく発音)と発音していた。英語も堪能だった三木氏だけに、日本語の発音にも正確さを心掛けたのかもしれない。
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