1926年12月25日

1926年12月25日 大正15年

【内 閣】

第1次若槻礼次郎内閣

総理 若槻礼次郎/外務 幣原喜重郎/内務 若槻礼次郎/大蔵 片岡直温/陸軍 宇垣一成/海軍 財部彪/司法 江木翼/文部 岡田良平/農林 早速整爾/商工 藤澤幾之輔/逓信 安達謙藏/鉄道 井上匡四郎/内閣書記官長 塚本清治/法制局長官 山川端夫

【元 老】

西園寺公望

【宮中主要官】

内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎

[海 軍]

海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎

【植民地高官】

朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助

満鉄社長 安広伴一郎

【東 京】

府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公

【国際連盟】

事務総長 ジェームズ・ドラモンド (第7代パース伯爵=英)


大正天皇(嘉仁、1879.8.31生まれ、47歳)崩御。大正時代終わる。摂政宮裕仁親王践祚。昭和と改元。1927.1.19 大正天皇と追号。

『東京日日新聞』号外、新元号案「光文」に決定をスクープ。閣議、「昭和」に変更。

昭和天皇の践祚に伴い昭和[しょうわ]に改元。出典は『書経』堯典「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)

昭和は旧皇室典範と登極令(皇室令の一部)による制度での最後の元号であり、1979年(昭和54年)の元号法制定の際、同法附則第2項により、「本則第1項の規定に基づき定められたもの」とされた。「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)による。漢学者・吉田増蔵の考案。「昭和」が元号の候補になったのはこれが最初である。なお、江戸時代に全く同一の出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省(現:宮内庁)作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。


高柳健次郎がテレビ受像機で「イ」の文字の画像の伝送に成功

浜松高等工業の実験室で高柳博士は石英版に書いた「イ」の字の映像を機械式の円形撮像装置で読み取って、電子式のブラウン管に送り、映像を映し出すことに成功した。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。