南留別志120
荻生徂徠著『南留別志』120
一 源氏物語を見れば、病に薬用ふる事はすくなくて、大かたは、祈祷をのみしたるやうなり。今も田舎のものはかくのごとし。鬼を尚(とうと)べる風俗の弊なるべし。
[解説]江戸時代にもなると、さすがに加持祈祷で病が治るものではないということが分かってきて、閉鎖的な地域はともかく、薬で治したり緩和させることが当然となり、この段のように平安の昔を批判的に見るようになったもの。我々にとっては平安も江戸も古典だが、決して同じではない。時代の進歩がある。源氏物語の祈祷で代表的なのは、光源氏が若紫との出会いのきっかけとなる所。光源氏が18歳の時に「わらわ病(やみ)」に罹り、北山(鞍馬)で偉い聖に加持祈祷をしてもらった。この当時の人たちは、病気は物の怪(もののけ)が体に取りついたために起こると信じていたため、体外へ追い出そうと加持祈祷をした。平安中期になると天皇から庶民まで、さまざまなことを行うにあたり、あるいは解決するために祈祷をした。天皇専属の祈祷をする僧まで選任されたほど。延暦寺・園城寺(おんじょうじ。俗に三井寺)・東寺などの密教の大寺院が栄えるに至った。なお、祈祷で病がよくなった源氏は外に出てると、下に小柴垣の家があり、そこに女性たちがいることを従者から聞き、暗くなってから忍んで行くと、10歳ぐらいのかわいい女の子を見つけた。これが若紫。源氏の病はマラリアと言われているが、祈祷でケロリと治るのもどうかと思うが、さっきまで重病だったのにもう女漁りをするというのも凄いことで、江戸時代には源氏物語は淫書として「机の下で読む本」扱いされたのもむべなるかな、である。その割には徂徠は当時の様子や言葉を知る好材料としてよく利用しており、このあたりは公正な学者的態度といえよう。
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