1941年12月16日

1941年12月16日 昭和16年

【内 閣】

東條英機内閣

総理 東條英機/外務 東郷茂徳/内務 東條英機(兼)/大蔵 賀屋興宣/陸軍 東條英機(兼)/海軍 嶋田繁太郎/司法 岩村通世/文部 橋田邦彦/農林 井野碩哉/商工 岸信介/逓信 寺島健/鉄道 八田嘉明/拓務 井野碩哉(兼)/厚生 小泉親彦/国務 鈴木貞一

内閣書記官長 星野直樹/法制局長官 森山鋭一

企画院総裁 鈴木貞一(兼)

情報局総裁 谷正之/情報局次長 久富達夫

【宮中主要官】

内大臣 木戸幸一/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 原嘉道/枢密院副議長 鈴木貫太郎

【軍部高官】

[陸 軍]

陸軍次官 木村兵太郎/軍務局長 武藤章/参謀総長 杉山元/参謀次長 田辺盛武/教育総監 山田乙三

[海 軍]

海軍次官 豊田貞次郎/軍令部総長 伏見宮博恭

【植民地高官】

朝鮮総督 南次郎/台湾総督 小林躋造/関東長官 梅津美治郎/樺太庁長官 棟居俊一/南洋庁長官 近藤駿介

満鉄総裁 大村卓一

【東 京】

府知事 岡田周造/市長 大久保留次郎

【国際連盟】

事務総長 ショーン・レスター(アイルランド)


呉海軍工廠で史上最大の戦艦「大和」が竣工

大日本帝国海軍が建造した大和型戦艦の1番艦。2番艦の武蔵とともに、史上最大にして唯一46センチ砲を搭載した超弩級戦艦であった。呉海軍工廠で建造され、1945年4月7日、特攻作戦に参加して沈没した。

軍艦大和は、大和型戦艦の1番艦。大和の艦名は奈良県の旧国名の大和国、あるいは日本の古称・別称・雅称に由来する。艦名は、明治・大正時代の海防艦/特務艦大和に続いて二代目。大和は、戦艦として史上最大の排水量に史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)では対46cm砲防御を施した軍艦であった。設計はもちろん、ブロック工法の採用など施工においても当時の日本の最高の技術が駆使された。しかし、その存在で特に46cm主砲の搭載が最高軍事機密であったので、建設時から秘匿に力が注がれ、また完成が数日差ながらすでに戦時中になっていたことや、さらに敗戦前後に設計図含め多くの記録が焼却処分されたためにその姿をとらえた現存写真は非常に少なくなっている。太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直後の1941年12月16日に就役。1942年2月12日に連合艦隊旗艦となった(司令長官山本五十六大将)。6月上旬のミッドウェー作戦が初出撃となった。1943年2月、司令部設備に改良が施された同型艦の武蔵がトラック島に進出し、武蔵に連合艦隊旗艦任務を移譲した。同年末、大和は輸送作戦中にアメリカの潜水艦の雷撃で小破した。 修理・改装後、1944年6月の渾作戦、マリアナ沖海戦に参加した。同年10月中旬以降の捷一号作戦で、アメリカ軍の護衛空母部隊(タフィー3)に対し46cm主砲砲撃を実施した(レイテ沖海戦)。1945年4月7日、天一号作戦において第二艦隊(第一航空戦隊)旗艦として麾下の第二水雷戦隊と共に沖縄方面へ出撃したがアメリカ軍の機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈された。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。