南留別志111

荻生徂徠著『南留別志』111

一 けだしといふ詞(ことば)、万葉集にあるなり。


[解説]漢文を訓読するにあたり、そのために作られた和語がある。「けだし」もその一つで、「蓋」という字を読むために作られた。(他に「すべからく」や「いずくんぞ」など)「蓋」は推量の意味で使われる発語の辞で、句の冒頭に来る。そこで、「けだし」と読み、推量であるから句末を「~ならん」で結ぶ。例えば『論語』述而(じゅつじ)第七に「蓋し知らずして之(これ)を作る者有らん」(思うに、よく理解もしていないのに、勝手に自説をもっともらしく作る者がいるようだ)といったようなもの。学者や評論家といった人たちは、その肩書だけでテレビなどにコメンテーターとして招かれることが多くなったが(かつてはその分野の専門家として、ある事象に対して意見や解説を求めるために限定的に招いたもの)、中には自分の思い込みだけで決めつけ、他者の疑問や事実の説明を受け付けない人がいる。最近はとみにそういうタイプの人がよく起用され、過激なことを言っては注目を浴びる。視聴率を上げるためならむしろこういう人のほうが使えるといった方針なのだろうか。しかし、上に引いた『論語』の言葉は、こういった人は相手にすべきではないという戒めであり、強く断定するよりも、推量の形でやんわりと言ったほうが却って強く響くものである。

 ところで、徂徠は漢文訓読のための「けだし」が『万葉集』にある、と言う。つまり、漢文訓読体という新しい日本語以前の『万葉集』に用例があり、もともと和語としてあったものであると言いたいのだろう。実例は示されていないが、次のようなものがある。

   馬の音のとどともすれば松陰に出でてそ見つるけだし君かと 万葉集 2653

          わが背子しけだし罷らば 万葉集 3725

 漢文訓読の「けだし」は確信のある推量なのに対し、『万葉集』の「けだし」は疑問や仮定のニュアンスがこめられ、漢文のものより控えめになっている。

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