南留別志108
荻生徂徠著『南留別志』108
一 王を「おほきみ」といふは、大君の義なれば、天子の事なるべし。葛城の王(かずらきのおおきみ)などは、漢語を用ひたる後の詞なるべし。
[解説]葛城王(かずらきのみこ、かずらきのおおきみ。現在、地名では「かつらぎ」と読む)と称した人として
葛城王 (敏達天皇の子) - 敏達天皇と推古天皇の息子。
葛城王 (天武朝の人) - 7世紀の皇族。
橘諸兄(たちばなのもろえ)の臣籍降下以前の皇族時代の名。
がいる。徂徠は、元来は「王」(大王)を「おおきみ」と読んだのは天子(帝、天皇)を指してのことであろうが、やがて「葛城王」といった使われ方がされるようになったのは、「王」「大王」に代わって「天皇」という漢語を使うようになったため、「王」がいわば格落ちしたのであろうとする。「天皇」とは、大陸からもたらされた道教において宇宙の最高神とされる「天皇大帝」に由来するとされている。一方、大王(おおきみ、だいおう)または治天下大王(あめのしたしろしめすおおきみ)は、古墳時代から飛鳥時代にかけての大和王権の首長の称号あるいは倭国の君主号とされている。「大王」「治天下大王」という漢字表記は漢字伝播後に後付けされたことは言うまでもない。
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