南留別志107

荻生徂徠著『南留別志』107

一 主水を「もんど」といひ、掃部を「かもり」(かもん)といひたるは、むかしよりいひたるなるべし。民部を「たみのつかさ」、兵部を「つはものゝつかさ」といふやうなるは、後につけたる訓なり。此(この)やうなる類は、むかしもいはず、歌書にも用ひず。物語にもかゝず。何のためしにおきたる事にか。いぶかし。文選(もんぜん)などを両点によみたるを学びて、宣賢朝臣(のぶかたあそん)などのはじめたる事にや。さなくとも、兼倶(かねとも)が惟一(唯一)といふ事をいひ出でたる後の事なるべし。


[語釈]

●宣賢 清原宣賢(きよはらのぶかた)。戦国時代の公卿・学者。吉田兼倶の三男。明経博士・清原宗賢の養子。官位は正三位・少納言。国学者・儒学者で歴史上屈指の碩学とされ多くの著作があるが、そのなかでも各種の抄物(『職原私抄』『日本書紀神代巻抄』『伊勢物語惟清抄』等)は現在も多く伝わり、日本国学研究の基礎資料となっている。 

●兼倶 吉田兼倶(よしだ かねとも)。室町時代中期から戦国時代にかけての神道家。卜部兼名の子。官位は従二位・非参議。本姓は卜部氏。吉田神社の神主。吉田神道(唯一神道)の事実上の創始者。


[解説]百官名として使われている主水(もんど)や掃部(かもり、かもん)という読みは日本古来のものであるが、民部(みんぶ)や兵部(ひょうぶ)といった中国のものを採用した官名は音読みで呼ばれた。江戸時代、神道家によりこれらをも「たみのつかさ」「つはものゝつかさ」とことさら言うようになったが、こんな読みは過去の歌書や物語類にもなく、つまり伝統ではない。なぜわざわざこんなことをするのかと徂徠はいぶかしがっている。古来、特に『文選』で特殊な訓読が行われた。まず難しい語句を音読みし、続けてそれを訓読みするというもの。例えば、

  細細腰支 細細(さいさい)とほそやかなる腰支(ようし)のこし

  片時 片時(へんじ)のかたとき

  関関雎鳩 関関(かんかん)とやわらぎなける雎鳩(しょきゅう)のみさご

 といったもの。平安時代の博士家で講義する際、この読み方で教えたところからいう。現在、「神経痛が痛い」と言った言い方をする人がいると、「痛いをだぶらせている」とこの言い方の誤りを指摘するが、これも一種の文選読みといえる。「痛」の字をまず「つう」と音読みし、続いて「いたい」と訓読みしている。これは文選読みの法則にかなっている。だから大いに使えとはいわないが。

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