南留別志89
荻生徂徠著『南留別志』89
一 日本紀は、漢文に和語をつけたる物なり。全き和語といふべからず。総じて、官名などの和訓は、むかしかくいひたるにはあらず。官名いできて後、あらたに和語をつくりたるなり。
[解説]日本紀は日本書紀のこと。その日本書紀は漢文に和語(やまとことば)をつけたものであり、日本書紀の文章そのものが和語というのではない。特に官名といった制度などに関するものは日本にはもともとなく、名称も制度も輸入されたもので、日本で行われるようになってから和語が作られたものであるという。この指摘は中身についても言えることで、特に神話時代に関することは往々にして中国古代の伝説などに先行するものが見られ、古来より古事記とともに盛んに研究されている。江戸時代でも学者らがこの事に気づき、いろいろ解明され研究が進み始めたものの、明治の世となり、神話は事実であるとする風潮が御用学者を中心に言われ、日本の歴史は2600年に及ぶとしたい政治家らの支持を得て、一時は「神話は中国の説話類に依拠したもの」などという説はタブーとなり、弾圧の対象にまでなった。戦後は再び合理的な研究がなされるようになったが、一方、神代巻はあくまで事実を記したものであるという一種の原理主義のような信奉者も存在。現在は政権を支持する組織、さらには閣僚の多くがこれで占められており、日本優越主義といったものが蔓延するまでに至っている。超一流の学者、大儒と言われる徂徠は国学の台頭とともに「危険な学者」とされ、現在も限られた研究者しかいない(著作が高度であること、論語の解釈に往々にして独特の解釈があるといったこともあるが)が、かつて吉川幸次郎博士も徂徠を信奉した学者には保守に批判的な人が少なくないことも影響しているように思われる。神話を事実であるとする人たちからすれば、徂徠のようにそれを否定、疑問視する人が疎ましく、憎く思うのは、まあ当然であろう。学者としては否定しても、神話そのものは親しんでいるという人もいるが、否定する者はすべて悪とするのは行き過ぎというものだが。
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