南留別志85

荻生徂徠著『南留別志』85

一 「こゝろなく」を、「けゝれなく」といふは、甲斐国の郷語なりといふ。いまも遠江国のものは、九つ(ここのつ)を「けゝねつ」といふと、元喬(げんきょう)いへり。


[語釈]

●元喬 徂徠の高弟、服部南郭(はっとりなんかく、天和3年(1683)9月24日 - 宝暦9年(1759)6月21日。儒者、漢詩人、画家。姓は服部、名は元喬(げんきょう)、通称は幸八(こうはち)、後に小右衛門、字(あざな)は子遷(しせん)、南郭は号。他に芙蕖館(ふきょかん)、又芙蓉館(ふようかん)。画号は周雪、観翁など。中国風に服南郭、服元喬、服子遷と名乗ることもあった。京都の裕福な町人の服部元矩(もとちか)の次男として生まれる。17歳の頃、甲府藩主柳沢侯に歌と画業を認められ、18年間仕えた。柳沢家には多くの優れた学者(細井広沢、志村禎幹、荻生徂徠、鞍岡蘇山、渡辺幹など)が仕えていたが、このうち荻生徂徠を慕い、やがて漢学に転向する。柳沢吉保が死去して4年後の享保3年(1718)、跡を継いだ柳沢吉里に疎んぜられ職を退く。18年間も甲斐にいれば方言に通じていたのも当然であろう。絵は伝忍海上人筆服部南郭像。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。