南留別志76

荻生徂徠著『南留別志』76

一 阿蘇は、熊襲(くまそ)なるべし。肥後国球磨(くま)郡は、その旧墟なるべし。陸奥(むつ)は、みちのおくなるに、後には、又陸の字につきて、むつの国ともいふ。文字につきて、名の転ぜるも常の事なり。


[解説]文字のなかった我が国では、言葉(ここでは土地の名)が先にあり、あとから漢字を当てて文字化した。文字化されると拡散しやすくなるとともに、それの読み方を知らない人は思い思いの読み方をしてしまう。ところが、その読みのほうが元の読みよりも発音しやすいなどの理由により、それに取って代わることがある。特に「陸奥」。昔は近畿が中心地で、東北地方は「遠い道の奥まったところ」といったことから「みちのおく」「みちのく」と言われた。「みちのく」は今でも使われるが、どちらかといえば文学的表現といった感じで、例えば天気予報で「みちのく地方の明日の天気は」とは言わない。「みちのおく」という呼び名が「陸奥」という漢字で表記されるようになったが、「道奥」ではなく「陸奥」。「陸奥」という字からは「みちのおく」という読みは発生しない。「おく」だけが正しい。ところが、「陸奥」という表記が一般化すると、いつしか「むつ」という呼称が使われるようになった。「陸奥」という二字からは「むつ」という読みは出てこない。「むつ」という字としては「睦」がある。徂徠のいう「陸の字につきて」は「睦」の字を念頭に置いたものと思われるが、「陸奥」の二字で「むつ」と言うようになったのは、「陸(睦)」の字を元として、従来の「みちのおく」「みちのく」が「むつ」になった、このような例はよくあることだとする。

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