南留別志74

荻生徂徠著『南留別志』74

一 神道といふは、巫祝(ふしゅく)が神につかふる道なり。印相観法をまじへたるは、仏法を加へたるなり。陰陽五行をいへるは、性理をまじへたるなり。神道すなはち王道なりといふは、道をしらぬものゝいへるなり。神道と王道とは、各別なる事なれども、王道は神道によせてたてたり。三代の古道をしらざる人は、此さかひ(境)はえしるまじきなり。


[語釈]

●巫祝 神事をつかさどる者。みこ。はふり。かんなぎ。 

●印相観法 印相(いんそう、いんぞう)は、仏教において、手の指で様々な形を作り、仏・菩薩・諸尊の内証を標示するもの。印(いん)、印契(いんげい)、密印、契印ともいう。もとは印相に関する定まった規則は無かったが、密教の発達に伴って相が定まり、意味が説かれるようになった。観法は仏教用語で、真理と現象を心のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法のこと。観,修観,観念,観想,観行などの総称。観の内容は多数に分類される。 

●陰陽五行 陰陽五行説。中国の戦国時代に発生した陰陽説と五行説とが漢代に結びついて一体化した説。五行の木・火は陽、金・水は陰、土はその中間であるとし、これらの消長を観察することによって、天地の変異、人間界の吉凶など万象を説明する。 

●性理 朱子学で、人間の本性または物の存在原理。 

●三代 中国古代の夏(か)・殷(いん)・周の三王朝を指す。孔子は周王朝の政治を理想とし、手本としたが、儒教ではさらにその前の二つの王朝の禹(う)と湯(とう)の二人の王を聖王とし、その徳を称えた。夏については実在が確認されておらず(それと思しき遺跡は発掘されたものの、断定までは至っていない)、殷は殷墟という明確な遺跡から考古学的に実在が確認され、現時点で中国最古の王朝とされている。徂徠は晩年に、将軍吉宗に政治の在り方を書物にして建白したが、その中で、三代の世こそが聖人の道であり、為政者はこれを手本とすべきことを繰り返し述べている。ここでの「三代の古道」も同じことで、神道は仏教や陰陽五行の影響を受けたり、或いは採り入れたりして今の形となったもので、神道と王道もまた別のものであるのに、神道こそが王道であると主張する人が徂徠の頃には次々と現れたようで、それを批判した。神道はこのあと、国学の台頭により国粋主義、日本主義の原動力となり、明治維新へと突き進むことになる。

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