南留別志71

荻生徂徠著『南留別志』71

一 越殿楽(えてんらく)の詞に、ふきといふ事をうたふは、古雅なる事といはんかたなし。詩経の詞も、是には過ぎじと思はる。惕斎(てきさい)などが、詞を作りかへたるいやしさ、又いはんかたなし。聖人の道をしらぬ人は、かくもあさましき事をする物かな。


[語釈]

●越殿楽 雅楽の演目。舞は絶えて曲のみ現存。雅楽の曲のなかで最も有名な曲である。「越天楽」とも。原曲は中国・前漢の皇帝文帝の作品と伝えられている。 

●ふき 箏曲の曲名。富貴,蕗,布貴などとも書く。八橋検校が作曲した箏組歌13曲の第1曲。筑紫箏の同名の曲を八橋検校が改訂したもので,組歌の中で最も有名な曲の一つ。歌詞は筑紫箏のものとほぼ同じで,源氏物語,和漢朗詠集などから取材している。

●詩経 中国最古の詩集で、孔子が編集したと言われる(これについては懐疑的な意見が多い)。古くは単に「詩」と呼ばれた。儒教の基本経典である五経の一つ。漢詩の祖型。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であった作品と言われる。 

●惕斎 中村惕斎。1629-1702 江戸時代前期の儒者。京都出身。名は之欽(しきん)。字(あざな)は敬甫(けいほ)。通称は七左衛門,仲二郎。同じ京都の大儒・伊藤仁斎(じんさい)とならび称されたが,生涯仕官しなかった。独学で朱子学をおさめ,天文地理,度量衡から音律にまで精通する。著作に「四書示蒙句解(じもうくげ)」,編著に「訓蒙図彙(きんもうずい)」など。


[解説]中国漢代に作られたとされる越殿楽の曲が雅楽となり、一方、我が国で作られた「ふき」という箏曲を組み合わせたものが古雅なものとして人々が称えていることに対し、徂徠は聖人の道を知らぬものと痛烈に批判している。徂徠は政治の在り方として、孔子が手本としたとされる周公の作った制度をもとにすることを主張し、これこそが聖人の道であると「政談」などで再三述べている。といっても、人治主義ではなく、法治主義である。詩経が儒家の経典とされたのも、そこに集められた作品はいずれも聖人の理想とする世の中や、美しい心情が素直に表現されたものであるという考えから。実際は淫乱な作品もあり、孔子が編集したのではないという説の根拠の一つにもなっているが、個々の作品の得失はともかく、書物として尊ばれているものを演奏の為に詞や曲を改変することに対しても、徂徠は許せなかったようだ。中村惕斎が具体的にどういうことをしたのかわからないが、実名を挙げて批判しているのだから、徂徠にとってはよほど我慢のならないことのようである。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。