南留別志70

荻生徂徠著『南留別志』70

一 延喜帝を聖人なりといふは、天子を尊(とうと)める詞なりといふ事をしらで、延喜の聖代とかきたる文を誤り会したるなるべし。


[解説]延喜(えんぎ)は平安前期、醍醐天皇の時の元号。901年7月15日~923年閏4月11日。「延喜の聖代」と書かれた文章を、誰かが「延喜帝は聖人」という意味だと思ったらしい。「延喜の聖代」という言い方は、その時の天子の名を憚り、元号を以て間接的に称えたもので、戦後でも「昭和の聖代」と昭和天皇を称える人がいるように、古来からの一種の表現である。延喜帝という天子は存在しないが、そもそも天子(天皇)が国民一般に大きく存在し、意識されるようになったのは明治時代からのことで、それまでは公家や武家の世界での存在だった。律令時代など、親政を行った帝もいたが、その場合でも庶民に詳しい情報がもたらされるわけではないし、直接龍顔を拝することなどあり得なかった。元号も20年30年に及ぶものは少なく、なにかあるごとに改元されたから、江戸時代の人でも「延喜」が元号なのか帝の諡号なのかわからない人がいても不思議ではない。

過去の出来事

過去の本日の朝廷や江戸幕府の人事一覧、その他の出来事を紹介します。ほかに昔に関する雑記など。