1926年10月21日
1926年10月21日 大正15年
【内 閣】
第1次若槻礼次郎内閣
総理 若槻礼次郎/外務 幣原喜重郎/内務 若槻礼次郎/大蔵 片岡直温/陸軍 宇垣一成/海軍 財部彪/司法 江木翼/文部 岡田良平/農林 早速整爾/商工 藤澤幾之輔/逓信 安達謙藏/鉄道 井上匡四郎/内閣書記官長 塚本清治/法制局長官 山川端夫
【元 老】
西園寺公望
【宮中主要官】
内大臣 平田東助/宮内大臣 牧野伸顕/枢密院議長 浜尾新/枢密院副議長 一木喜徳郎
【軍部高官】
[陸 軍]
陸軍次官 白川義則/軍務局長 畑英太郎/参謀総長 河合操/参謀次長 武藤信義/教育総監 大庭二郎
[海 軍]
海軍次官 岡田啓介/軍令部総長 山下源太郎
【植民地高官】
朝鮮総督 斎藤実/台湾総督 内田嘉吉/関東長官 児玉秀雄/樺太庁長官 永井金次部/南洋庁長官 横田郷助
満鉄社長 安広伴一郎
【東 京】
府知事 宇佐美勝夫/市長 中村是公
【国際連盟】
事務総長 ジェームズ・ドラモンド (第7代パース伯爵=英)/事務次長 新渡戸稲造
皇室就学令公布。学習院・女子学習院以外の学校への就学を認める。
長慶天皇在位確認の詔書。
南朝関係史料の少なさから、近世以来諸家の間で天皇の在位・非在位をめぐる議論があり、1911年(明治44年)3月に明治天皇が南朝を正統とする勅裁を下した際も在位認定されないままであったが、大正時代に入って、八代国治・武田祐吉の実証的研究が決定的な在位説として評価される。これを受けて宮内省の調査が行われ、1926年(大正15年)10月21日に皇統加列についての詔書発布があり、ここにようやく長慶天皇の在位の事実が公認され、正式に第98代天皇および南朝第3代天皇として認定、皇統に加えられた。これにより以後の天皇の代数も一つずつ増えることに。
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