南留別志53
荻生徂徠著『南留別志』53
一 弁慶は滑稽の男なり。むさし坊とつきたることは、弁の字をかたかなにてよめるなるべし。
[解説]武蔵坊弁慶。なぜ「武蔵」坊とつけたのか。それは、弁慶の弁の字を分解すると「ム」と「サ」の字になる、つまり由来は字遊びで、滑稽な人であることよ、と徂徠は感心している。武蔵坊弁慶(? - 文治5年閏4月30日〈1189年〉?)は、平安時代末期の僧衆(僧兵)。源義経の郎党。実在の人物ではあるようだが、後世伝えられるものは『義経記』その他創作物に負うところが大きい。義経を庇護した複数の比叡山悪僧の所業が集められ、誇張されて弁慶伝説が構成されたのではないかとされている。悪僧の悪は武力や腕力が強い者のこと。どちらかといえば勇者といった意味が大きい。
下の絵は『和漢英勇画伝』より「義経 弁慶と五条の橋で戦ふ」(歌川国芳画)
五条大橋での戦いを描いた江戸時代の浮世絵
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