南留別志47

荻生徂徠著『南留別志』47

一 やまとゝいふは、山迹とかきて、和州の事なり。神武帝、和州に都(みやこ)したまひしより、大八洲(おおやしま)の総名となれり。大和(たいわ)といふは、もと大八洲の総名なるを、帝都なれば、山迹の文字に用ひたり。そのはじめ、おのころじまといふ事を、異国にて、倭奴国と文字をつけたり。倭を和とかきかへたるは、美名を取れるなり。桓武帝より後は、帝都にもあらぬに、大和の名を改めぬは誤(あやまり)なり。おのころじまを、淡路島なりといふも誤なり。おのころ島といふ心は、男子島といふ事なり。「ろ」は、神ろぎ、神ろみ、山鳥のをろのかゞみなどの類にて、助語なり。しきしまといふも、欽明帝の都の名を、大八洲にかうぶらしめたるなり。


[解説]我が国の国号の一つにして、和州、つまり旧国名でもある「やまと」についての論考。「やまと」はもともと「山迹」(やまあと→やまと)の字を当てていたが、神武帝がここに都を置いたことから、大八洲(これも我が国の国号の一つとなっている)を総べる地となり、「大和」の字に変えた。中国では我が国を「倭」と表記していたが、これも我が国において美名の「和」とした。桓武帝以降は都を遷したが、「大和」の名はそのまま残った。これについて徂徠は誤りであるとして批判している。また、「おのころ島」(自凝島)は淡路島であるとするのも誤りで、「ろ」は助辞にして、「おのこ(男子)の島」という意味であるとする。「しきしま」(敷島)も国号に数えられているが、元は「磯城」(しき)と表記し、大八洲同様、「磯城の島」という意味で、我が国の中心、統治する総名であるとする。

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