南留別志44
荻生徂徠著『南留別志』44
一 中臣祓は、神代の詞(ことば)なりといへるはさもあるべし。神代の詞は、漢語をまじえぬといふは心得がたし。母と子と犯せる罪といへり。犯すといふ詞は、犯姦の字より起ること明(あきらか)なり。黒身左男鹿(くろみのさおしか)をば、神道者ども字をつけかへて回護せり。いきのはだゝち、しのはだゝちといへるしも音なるをや。
[語釈]●中臣祓 なかとみのはらえ。6,12月の晦日(みそか)に朝廷で行う大祓およびその祓詞 (はらえことば) の別称。中臣氏が司っていたので,こう呼ばれるようになった。神道教説の枢要として,神道学者や国学者から重視され,中世の両部神道系の『中臣祓訓解(なかとみのはらえくんげ)』をはじめとして,近代に至るまで膨大な注釈書が書かれた。 ●左男鹿 祝詞(のりと)の最要祓(さいようはらえ)に見える。最要祓とは大祓詞の要点を掻い摘んで作られたもので、大祓詞が長文のため、繰り返し奏上できるように最要祓が作られたという。
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