南留別志36
荻生徂徠著『南留別志』36
一 吾邦は、冠婚葬祭の礼なし。あるに改めたらんは、僭(せん)なるべし。なきに定めたらんは、王者の師なるべし。
[解説]我が国で行われてきた冠婚葬祭の元をたどると、大陸由来であることが多い。結婚の際、仲人を立てるが、これ一つとっても中国のしきたり(『礼記』(らいき)にみえる)であったものが日本でも採り入れられたものだし、先述のように位牌は儒教で行われてきたものが江戸時代にたちまち広まったものである。民間はまだよい。為政者、特にトップとなると、冠婚葬祭いずれの儀式も権力の威厳を示すものとして不可欠であるから、僭越であるのもかまわず我が国でも行うようになったのは、王者の指南役たる者が次々と定めたのであろうと徂徠は推察した。
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