南留別志34

荻生徂徠著『南留別志』34

一 業平(なりひら)天神といふは、成平(なりへい)といふ相撲取をまつれるなり。今は大かた在五中将(ざいごちゅうじょう)になりぬ。


[解説]業平天神は業平天神社のこと。現存しない。業平山南蔵院(しばられ地蔵、葛飾区東水元へ1926年に転出)の境内にあった神社の摂末社(鎮守社)という。在原業平が亡くなった場所に業平塚が建てられ、神社になったといわれるが、徂徠が言うように、力士の成川運平の墓が業平の墓に転じたという説(『遊歴雑記』)や、里見成平の墓という説(『本所雨やどり』)など諸説あり、江戸時代においても由来が明確ではなく、祀られている対象がなんとなく業平に変わってしまったようだ。「在五中将」は「在五」は在原氏の五男の意で、「中将」は位が近衛中将であったところから業平の通称として親しまれてきた。

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