南留別志32
荻生徂徠著『南留別志』32
一 古の詞(ことば)は、多く田舎に残れり。都会の地には、時代のはやり詞といふ物、ひた物に出来て、あるきは、みなかはりゆくに、田舎人は、かたくなにて、むかしをあらためぬなり。此比(このごろ)は、田舎人も、都に来りて、時の詞を習ひつゝゆきて、田舎の詞もよきにかはりたりといふは、あしきにかはりたるなるべし。
[解説]古語は地方に残る一方、都会では流行語が生まれては広まる。この現象は300年昔の徂徠の時にもすでに顕著だったようだ。地方の人は意固地な性格だから改めようとしないが、このごろは地方の人も都会に来ては都の流行語を覚えて帰り、地元でそれを使う。その結果、方言がひどい形に歪められてしまったようだとする。現代はよその土地に行かなくてもテレビでいろいろな方言を耳にすることができる。増える一方の旅番組(特にゲーム形式、アポなし形式といった趣向のもの)、そしてバラエティー番組を席巻しているお笑い芸人たち(関西の人が多い)。このうち、お笑い芸人たちの変な関西弁が本来の関西弁を壊し、しかも彼らの言葉が関西弁だと思わせているといった批判を目にする。「関西弁」といっても地域や世代、職業などによりさまざまあり、大阪に限定しても「大阪弁」というものはないとされる。これも船場の商人由来のものから、職人のことば、さらには河内や泉州など地域により違いがある。とはいえ、世代が変わり、住民の入れ替わりなどにより徂徠の言い方を借りれば「田舎に残」っていた「古の詞」は次第に消えつつあり、死語となった方言も多い。言葉も時代と共に均一化の方向に向かうのだろうが、世界的に見れば「消滅した言語」がたくさんあり、遠い将来、日本語そのものもはたして存在しているか、していたとしても標準語一色になっているか、それともたとえば首都が西日本のどこかに移転し、西日本の方言(というかなまり)が標準語になっているといったこともあるかもしれない。
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