南留別志30

荻生徂徠著『南留別志』30

一 論議といふは、真言、天台のなり。問答といふは、禅のなり。謡(うたい)に、論議はふしありて、問対はふしなし。其(その)はじめ、論議は、儒家の礼なり。釈尊の後にある事なり。


[解説]「論議」とはサンスクリット語の「upadeśa उपदेश」の音写語「優婆提舎(うばだいしゃ)」を漢訳した仏教用語。教説、問答あるいは論説の意味であり、仏陀あるいは弟子たちが教えについて論議し、問答によって理を明らかにしたものを指す。徂徠の言うように、真言宗、天台宗で行っている。「問答」は「禅問答」という言葉があるように、禅宗において雲水が修行するための課題として、老師から与えられる問題を公案といい、それを解くことで「問答」となる。日本では昔から1千7百則とも言われ、法身、機関、言詮、難透などに大別されるが、その他に様々な課題がある。ほとんどがいわゆる「禅問答」的な、にわかに要領を得ず、解答があるかすら不明なものである。近世には一定の数の公案を解かないと住職になれない等、法臘(年数)の他に僧侶の経験を表す基準となった。修行中、一日に何度も呼び出されては答えを求められることもあり、返答できないと追い返される。問答が成立するまで次に進めない。徂徠は「論議」はもともと儒家における礼として行われ、釈尊よりあとにできたもの、つまり釈尊自身が行ったものではないとする。ちなみに、現在一般的な位牌は中国の後漢時代に儒家の間で広まったもので、日本にはもともとなかった。日本には宋代に禅僧が中国から伝えたとされているが、一般化するのは江戸時代である。天皇みずからお田植される儀式を日本の伝統と思っている人がいるが、これも中国の皇帝が行っていたものをわが皇室でも倣うようになったものである。こういった例はいろいろある。

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