南留別志28
荻生徂徠著『南留別志』28
一 源氏物語に、五六のはらといへるは、発剌(はら)といへる琴の手なり。五六は、徽の名なり。はちとかき、破等(はら)とかきたる本あるは、琴すたれて後、しらぬ人のしたる事なり。
[解説]源氏物語の第三十五帖若菜下に光源氏の音楽論が展開されている箇所がある。その中に「五六のはら」という箇所があり、これについて徂徠が説明したもの。
原文は「返り声に、皆調べ変はりて、律の掻き合はせども、なつかしく今めきたるに、 琴は、五個の調べ、あまたの手の中に、心とどめてかならず弾きたまふべき 五、六の発剌を、 いとおもしろく澄まして弾きたまふ。さらにかたほならず、いとよく澄みて聞こゆ。」(与謝野晶子による現代語訳「合奏の末段になって呂りょの調子が律になる所の掻き合わせがいっせいにはなやかになり、琴は五つの調べの中の五六の絃いとのはじき方をおもしろく宮はお弾きになって、少しも未熟と思われる点がなく、よく澄んで聞こえた。」)
「発剌」は、明融臨模本は「五六のはち」とありし、大島本は「五六のハち(ち=らイ、らイ)」とあり、「はち」の右傍らに「はらイ」と異本表記するが、後にそれを削除している。『集成』は「青表紙本は「五六のはち」とあるが、河内本の中に「五六のはら」とするものがあり、それが正しいであろう。「はらとは溌剌とかく。七徽の七分あたりにて六の絃を按へて、五六を右手の人中名の三指にて内へ一声に弾ずるを撥と云ふ。外へ弾ずるを剌と云。つめて云へば発剌(はら)なり」(『玉堂雑記』)」と注して、「五六のはら」と校訂する。『新大系』は本文「はち」のままだが、脚注に「「はち」は誤りか。河内本「五六のはら」。「はら」は、「発剌(はつらつ)」がつまったもので、五絃六絃を三指をもって内へ弾じ外へ弾じて一声の如くする奏法という(山田孝雄)」と注す。『完本』は「五六の撥」のままとする。(以上、渋谷栄一氏による)
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