南留別志27

荻生徂徠著『南留別志』27

一    てにをはといふ事は、歌書の詞にあらず。博士の家より出でたる詞なり。をことは点といふものは、論語に本づきて作り出だせり。論語は、王仁(わに)が将来したる故、諸事の元になれり。てにをはと云ひ習はせるはじめなり。


[解説]現在、漢文の訓読にあたり、ヲニトなどの送り仮名を字の右下に添える方式を採っているが、最初からそのようにしていたわけではない。

 「ヲコト点」と言って、古く漢文訓読の際、漢字の読み方を示すために漢字の四隅・上下・中央などに胡粉(ごふん)または朱で記号(多くは点)を記した。平安初期に始まり、室町時代ごろまで行われ、仏家・儒家、またはその流派により種々の相違があった。

 図にあるように、例えば右上に点がある字は「コトヲ」という送り仮名をつけて読む、といったように、位置によって読み方が分かる仕組みになっていた。この方が今のように送り仮名を添えることでごちゃごちゃした感じにならなくて済む。ただ、上に掲げた読み方は一例であり、平安時代には博士家によって、それ以降は鎌倉五山や儒家によってそれぞれ自己流の付け方や読みをしていたために、当時の訓読はクセがあって読みづらいものも少なくない。江戸時代に入ると整理されるようになり、道春点や後藤点といったものに収斂された。高松藩の後藤芝山(しざん)の訓読がもっとも読みやすく、流布して、現在も学校の教材として読まれている漢文の訓読は後藤点によるもので、訓読の標準となっている。

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