南留別志15

荻生徂徠著『南留別志』15

一 聟養子(むこようし)をして、家を相続せしむるは、頼朝卿より始まる。法家のゆるさざる所なり。


[解説]嫁の実家の一員となる入り婿の制度は他国にはあまり例がないそうだが、日本では室町時代には広く行われるようになった。徂徠は源頼朝の時から始まったとする。江戸時代には商人、さらには農民の間でも行われた。入り婿に家督を継がせるということは、当初は幕府では認めていなかったものの、将軍家や大名家でも実子かなく、養子縁組をしなければ家が続かない事態となるに及び、事前に「養子某を継嗣とする」旨を届け出て許可を貰えば構わないということになった。しかし、当主がまだ若くて婚姻をしていない(当然、嫡子がない)段階で病死するといったことが起きた場合、家臣らが当主の死亡届けを出す前に、生前に「この者を養子とする」といった指示をしていたという偽の証文を提出、その後、当主死亡につき、養子某を継嗣とする旨を幕府に提出した場合は偽りの養子、家督相続であるとして認めず、処罰の対象となった。法律家でもあった徂徠も、婿養子というものは認めない立場であったが、時代が下がるにつれて実態はさらに乱れ、既に当主は亡くなっているのに、病の床にあるようにし、幕府から派遣された目付もそれをわかっていながら何も言わず、重臣が当主の遺体に耳を寄せ、「殿におかせられては、誰それ君(ぎみ)に家督をお譲りになられるとの仰せでござりまする」と復唱を演じ、目付も「あい分かり申した」と認めるといったことが公然と行われたほどであった。

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