斉諧俗談167
斉諧俗談 167
〇馬生角[うまつのをしょうず]
捜神記に言う、漢の文帝の十二年、呉の地にて馬に角が生えるということが起きた。その角は耳の前にあって右を向いていた。長さ三寸、左の角は二寸、大きさはともに二寸。これは家臣が叛く前兆であるという。
[語釈]
漢の文帝 前漢の第5代皇帝(恵帝の子とされる2人の少帝を除外し、第3代皇帝とする場合もある)。諱は劉恒(りゅうこう)。高祖劉邦の四男(庶子)。妻に竇猗房がいる。「文」が諡号とされたことからわかるように、文帝の世はよく治まり、数度の減税、時には税の廃止をしたり、民にとって苦役となる大規模な事業を控えるといったように、名君といえる皇帝だった。社会が安定していると民衆にとってはやる気が起き、前向きになるもので、次の景帝の世と合わせて「文景の治」と称賛される。食べきれない食糧が倉庫で腐敗したり、穴あき銭に通すヒモが腐ってバラバラになり、銭の勘定ができなくなるほど国庫や民の家には使わない銭であふれたとされる。家臣の叛乱もなかったが、名君に対してはいろいろな啓示があり、常に油断せず、慢心せず今まで以上に精励すべし、という話。
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