斉諧俗談132
斉諧俗談 132
〇石成祟[いしたたりをなす]
続日本紀(しょくにほんぎ)に言う、宝亀元年、西大寺の東の塔の礎石が壊れてしまった。その石は大きさが一丈余、厚さは九尺あった。この石は飯盛山[いいもりやま]で採れたもので、数千人がかりで牽いたが、一日で数歩しか進まなかった。この石はひとりでに音が鳴り響いた。そこで、人夫を増やし、九日でようやく西大寺に着き、削ったり刻んだりして、目標の位置に据えられた。それからというもの、巫(みこ)や覡(かんなぎ)らが石の祟りに悩まされた。そのため、柴を積んで焼き、酒三十石余を注いで祈ったところ、礎石はこなごなに割れて飛び散ったので、破片を道路に捨てた。その後、天皇が気鬱の病となられ、
〔割注〕光仁天皇なり。
博士に命じて占わせたところ、「割れた石の祟りであります」とお答え申し上げた。そこで、改めて破片を集めて清浄な土地に置き、人や馬が踏まないようにした。今、寺の境内の東南の隅にある破石[はせき]がこれである。
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